韓非子について書こうと思います。
なんか”国の秩序”が乱れているなぁ~・・・・と思いまして。 政(まつり)ごとを行うものとしての自覚たりないっすよね・・・・ 行政の重さを感じていないんでしょうね・・・
行政内部に潜入してみると、びっくりすることだらけです。 内部告発みたいなの好きじゃないので、遠まわしに苦言の代わりに韓非子の思想を紹介させていただきます。
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韓非子 (紀元前280?~233) 韓の国の公子として生まれ、荀子に学び、法家思想を構築。 諸葛孔明は韓非子を崇拝し、その思想を実践したひとり。
人間は何によって行動するのか?
韓非子は徹底的に儒教思想にあたる仁、徳、義といった概念を否定し、社会の秩序を保つのは仁や義などといった曖昧なものではなく、客観的な基準が必要で、それが「法」であるとして重要性を説いた。 そのためには2つのことが重要で、1つは「刑罰」。法を犯すことを予防することを目的とする。 もう1つは「術」。臣下の心を悪ととらえそれを操縦する術を身につけるべし。
孔子を代表とする儒教的な考えでいくと、「政を為すには徳を以ってす」。 礼を重んずれば社会秩序は保たれる。徳の心で政治にあたれば、必ず人はついてくる。 むやみに刑罰を与えるのではなく、礼によって社会秩序を確たるものとしようとしている思想なのですが、韓非子は逆で対照的です。面白いですね~♪
現代社会においても「徳を以って・・・・・」は現実的には理想論でしょうね。 政治を離れて、家庭内でとかでしたら可能かもしれないし、実現してもらいたいところですが。
徳によって民を感化し強制手段をとらない(人治)。 威勢で治め何事にも強制手段を採る(法治)。 ・・・・両者は矛盾した考えで、両立はしえない。
恩賞は手厚く、刑罰は重く・・・ 賞罰の適切な運用を徹底すれば人々を効果的に指導できる。
情けがすぎると寛大になり、法律は成り立ちにくくなる。 刑罰がきちんと行われないと禁令は及ばなくなる。
法律の大事な点は平等にある。 相手によって使い分けることなく、すべて法に照らして実行してこそ法律はきちんと行われるのである。
君主は法令上の賞罰を徹底するべき。 むやみに変更したり、言ったことを守らなかったりすれば、法律はきちんと実行されなくなる。
公私のけじめは、きちんとつけるべし。
国家の秩序は、客観的で平等な法律をよりどころとしている。 人為的な私情をまじえて執行してはならない。
法令を執行する時は、個人の好みで勝手に法を曲げたり変更するべからず。 そうしないと法はきちんと行われなくなる。
現場の人間が勝手に法律の解釈を曲げるようなことをしたら、法の秩序は乱れて運用がルーズになり、国の信用も墜落していくことでしょう・・・
行政の窓口によって、言っていることが違う、対応が違う、知り合いはOKだったのに、なんで自分はダメなのだ・・・・? よかれと思っての自己判断が、後々の不平・不満、不信感などのトラブルに発展することもある。
市場で魚や野菜を扱っているわけではなく、国家の「法律」を扱っているのです。 勝手に根拠無く、頼まれてもいないのにオマケしないように(汗)。。。
厳粛に法律というものを考えて、目先のことだけでなく、後々の影響力も考えて行動してもらいたいところです。
ビジネスをしている人なら・・・いや、そうでなくても「信用」の大事さはわかることだと思います。 一度信用を失うと、それをとりもどすのは大変なことです。
論語の中にも政治の要諦として、「政治が信頼を失ったら、もはや国は成り立たない」と。。。
論語の中で「仕えて優なれば学ぶ。学びて優なれば仕う」とあります。 (役人は余力があれば学問を続けるべき。学者は余力があれば公務につくべき。国への奉仕、社会への奉仕が君子の責務なのだ・・・)
この話、個人的に気に入ってまして、その影響か、とても「法律」に携わる仕事というのには勝手に思い入れがあります。 本当に法律に携わる仕事(特に政治家)って責任の重い仕事だと思うのです。
政治について不信感だらけ・・・・は、いつの世でも他の国でも一緒ですかね。。。。
あほやなぁ~
---- (参考文献:講談社α文庫 孫子・韓非子の思想)
記2006.5.24より ※補足・・・・当時、某省庁の不祥事がよく話題に。その苦言。
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