東洋哲学☆荘子
人間の本質は何千年も前から、意外と変わっていない。 私も自分でいろいろと悩み、たどりついた答えが、既に古典の中にあったり。 自分で悟ったと思っていた答え、既にでてるのね・・・。 温故知新・・・。 しみじみと 昔から人間、同じようなことを考えてるのね・・・と、感じること多し。
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夢の中で歓楽をつくした者が、一夜明けると辛い現実に声をあげて泣き、夢の中で泣き悲しんだ者が、一夜明けるとけろりとして猟を楽しむ。夢を見ているときは、それが夢だとは気付かない。夢の中で夢占いをすることさえあるが、目覚めてはじめて夢だったと気付く。人生にしても長い夢のようなもの、悟った者だけがその夢であることに気付く・・・。 (荘子:長梧子の夢 より)
荘子【紀元前369~286?】 「史記」によれば、宋の国生まれ。(現在の中国河南省) 老子に次ぐ道教の始教といわれている。
<吾が生やはて有りて、知やはて無し> 人の一生には限りがあるけど、知には限りがない。 限りのあるもので限りのないものを追いかけても疲れるだけじゃん。 考えても仕方がない。
<大知は閑閑たり、小知は間間たり> りっぱな知恵は悠々としてるけど、つまらない知恵に惑わされる人はせこせこしている。そのような人はいずれ、老醜をさらすだろう。
夢が現実なのか、現実が夢なのか。 荘子は「どちらでもかまわない」という。 「知」にはなんら確かな判断はないのだから、考えてもしかたのないこと・・・。
「知」に確かな判断はない。「知」から離れたところに自由な世界が。
大小、是非、美醜、善悪、生死・・・など、現実に相対しているように見えるは、人間の「知」が生み出した結果。 「相対」は人間の知恵がつくりだした見せかけにすぎない。 「相対」の概念(知)をとり払えば万物はひとつであることがわかる。
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余談
「死」をどう考えるか?
孔子曰く、 <いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん>
生のこともわからないのに、どうして死のことなどわかるはずがあろうか?
死などわからん♪
東洋哲学は「実践」に重きがおかれているらしいです。 禅も「日常性が大事」と、確か していたような・・・。
老子や荘子の思想、共感するところが多く、好きなのですが、油断すると とても枯れた気分になります。(私だけか?(笑)) 東洋哲学とはいっても、いろんな考えの方がいます。 代表的な人たちの間でも、共通するところもあれば、反するところもある。
おもろいですよ。
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