<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
   <channel>
      <title>経営☆労務ドットコム</title>
      <link>http://www.keiei-roumu.com/</link>
      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2007</copyright>
      <lastBuildDate>Fri, 11 May 2007 14:43:28 +0900</lastBuildDate>
      <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

            <item>
         <title>コラムです</title>
         <description>思いつくまま書いてます</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2007/05/post_42.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2007/05/post_42.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">600ｺﾗﾑ/名言・人生哲学・精神系 編</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 11 May 2007 14:43:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>コラムです。</title>
         <description>経営に関することや読んだ本の感想など書いてます。</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2007/05/post_41.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2007/05/post_41.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">100コラム/ビジネス・経営・書籍　編</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 11 May 2007 13:54:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>国の秩序・・・韓非子</title>
         <description>韓非子について書こうと思います。

なんか”国の秩序”が乱れているなぁ～・・・・と思いまして。
政（まつり）ごとを行うものとしての自覚たりないっすよね・・・・
行政の重さを感じていないんでしょうね・・・

行政内部に潜入してみると、びっくりすることだらけです。
内部告発みたいなの好きじゃないので、遠まわしに苦言の代わりに韓非子の思想を紹介させていただきます。

-----

韓非子
（紀元前280？～233）
韓の国の公子として生まれ、荀子に学び、法家思想を構築。
諸葛孔明は韓非子を崇拝し、その思想を実践したひとり。

人間は何によって行動するのか？

韓非子は徹底的に儒教思想にあたる仁、徳、義といった概念を否定し、社会の秩序を保つのは仁や義などといった曖昧なものではなく、客観的な基準が必要で、それが「法」であるとして重要性を説いた。
そのためには２つのことが重要で、１つは「刑罰」。法を犯すことを予防することを目的とする。
もう１つは「術」。臣下の心を悪ととらえそれを操縦する術を身につけるべし。


孔子を代表とする儒教的な考えでいくと、「政を為すには徳を以ってす」。
礼を重んずれば社会秩序は保たれる。徳の心で政治にあたれば、必ず人はついてくる。
むやみに刑罰を与えるのではなく、礼によって社会秩序を確たるものとしようとしている思想なのですが、韓非子は逆で対照的です。面白いですね～♪

現代社会においても「徳を以って・・・・・」は現実的には理想論でしょうね。
政治を離れて、家庭内でとかでしたら可能かもしれないし、実現してもらいたいところですが。

徳によって民を感化し強制手段をとらない(人治）。
威勢で治め何事にも強制手段を採る(法治）。
・・・・両者は矛盾した考えで、両立はしえない。


恩賞は手厚く、刑罰は重く・・・
賞罰の適切な運用を徹底すれば人々を効果的に指導できる。

情けがすぎると寛大になり、法律は成り立ちにくくなる。
刑罰がきちんと行われないと禁令は及ばなくなる。

法律の大事な点は平等にある。
相手によって使い分けることなく、すべて法に照らして実行してこそ法律はきちんと行われるのである。

君主は法令上の賞罰を徹底するべき。
むやみに変更したり、言ったことを守らなかったりすれば、法律はきちんと実行されなくなる。

公私のけじめは、きちんとつけるべし。

国家の秩序は、客観的で平等な法律をよりどころとしている。
人為的な私情をまじえて執行してはならない。

法令を執行する時は、個人の好みで勝手に法を曲げたり変更するべからず。
そうしないと法はきちんと行われなくなる。


-----

現場の人間が勝手に法律の解釈を曲げるようなことをしたら、法の秩序は乱れて運用がルーズになり、国の信用も墜落していくことでしょう・・・

行政の窓口によって、言っていることが違う、対応が違う、知り合いはＯＫだったのに、なんで自分はダメなのだ・・・・？
よかれと思っての自己判断が、後々の不平・不満、不信感などのトラブルに発展することもある。

市場で魚や野菜を扱っているわけではなく、国家の「法律」を扱っているのです。
勝手に根拠無く、頼まれてもいないのにオマケしないように（汗）。。。

厳粛に法律というものを考えて、目先のことだけでなく、後々の影響力も考えて行動してもらいたいところです。


ビジネスをしている人なら・・・いや、そうでなくても「信用」の大事さはわかることだと思います。
一度信用を失うと、それをとりもどすのは大変なことです。

論語の中にも政治の要諦として、「政治が信頼を失ったら、もはや国は成り立たない」と。。。

論語の中で「仕えて優なれば学ぶ。学びて優なれば仕う」とあります。
（役人は余力があれば学問を続けるべき。学者は余力があれば公務につくべき。国への奉仕、社会への奉仕が君子の責務なのだ・・・）

この話、個人的に気に入ってまして、その影響か、とても「法律」に携わる仕事というのには勝手に思い入れがあります。
本当に法律に携わる仕事（特に政治家）って責任の重い仕事だと思うのです。

 

政治について不信感だらけ・・・・は、いつの世でも他の国でも一緒ですかね。。。。

あほやなぁ～

 

----
（参考文献：講談社α文庫 孫子・韓非子の思想）


　　　記2006.5.24より
　※補足・・・・当時、某省庁の不祥事がよく話題に。その苦言。





</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_40.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_40.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">602国の秩序・・・韓非子</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 11:35:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>人生の旅路・・・</title>
         <description>～ぼくの成し遂げたことが果たして大きかったか小さかったか、それは自分にはわからない。ぼくはこれまで失敗したこともあるし、けちな運命の手からもぎ取るように少しは楽しい思いもしてきた。自分の進路と行き着く果てと、それから目を離しさえしなければ、人間、その日その日やりとげたことで満足するべきだろう。ぼくはもう老人だが、どうにも老人になった実感がわかない。ぼくがこの人生に旅立ったとき、前途には無限の世界がひろがり、歩いていく時間も無限だと思った。いまにして思うと、まるで長い長い１日のようだ。その長い１日はどこへ行ってしまったのだろう？いまや旅路は終わりに近付き、もう日も暮れかけた。むかし、この旅路のスタートに立って望み見た行路は果てしなく遠かったのに、いま振り返ってみるとぼくの踏んできた道はなんと短いのだろう～
（クラレンス・ダロウ　1857～1938　Ｄ・カーネギー「人生のヒント」より）




---------

なんとなく好きな一節です。





</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_39.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_39.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">604人生の旅路・・・</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 11:33:32 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>思考の旅へトリップ</title>
         <description>老子の哲学（講談社+α文庫　老荘の思想 より引用）
----
万物の根元、つまり宇宙の実体を構成し、それを動かすもの、この本体を、老子は「道」と名づけた。

万物は流転する。それが宇宙の運動法則であり、「道」の運動形式。

「道」は一定不変のものとしてはとらえられない。本来、無限定なものであるから「無」としかいえないが、時間と空間に制約された現象として万物があるから「有」と見ることもできる。両者はじつは同じ本体から出ているのだ。「無」とはつねにものを生み出そうとするもの、「有」とはつねにものを滅亡へ向かわせようとするもの。

「無」と「有」、この両者の対立と転化を含んで、止むことなく運行する根元の作用、それは奥深くてはかり知れないから「玄」としか形容することができない。

「天は玄にして地は黄なり」
その根源的な玄なるものから、あらゆる変化、森羅万象が現れる。

「道の道とすべきは、常の道にあらず」
これこそ真の道だといえる道は、絶対不変の固定した道ではない。万物は瞬時にも止まることなく変化しつづける。「変化」こそ宇宙の本質であるから、真の認識は、事物をつねに変化においてとらえなければならない。

*****
言語では道理のすべてを表現することができない。
「道」を体得している人も、それを説明しようとすると、うまく言えない。目の見える人が見えない人に太陽を説明できないのと同じである。（ソウトバ語る）
*****
文字は指にたとえられる。指は真理を指すが、たいてい、人は指の先しか見ず、その指し示す彼方の真理を見ようとしない。（禅宗 六祖壇教より）

------


物事、森を見て木を見る・・・みたいな発想が大事だと思うのですよね。
森を見るにはどうしたら・・・
「古典を学べ」が、１つの方法じゃないかしら。
源流、源流まで遡り、歴史を学ぶ。

「木」しか見えていなかったものが、体系的に「森」まで見えてくる。

成功哲学にしても宗教学にしても、いまとなっては、いろいろな解釈や解説が入り込み、多数の宗派や 書店には本が無数に並んでおりますが、源流まで遡ってみると、けっこう本質的なことは古典から変わらずにいることに気付く。


紀元前の話・・・約3000年前の時代にまで思考を遡らせる。
そこには いくつかの文明国家が既に地球上に。
そして、いく人もの すぐれた学者、思想家が・・・。

東洋においては、インドにて釈迦牟尼。
中国では、老子・・・・など。

先代に生まれた思想家は、後世の思想家にも影響を与え続けている。

禅にしろ、その他の仏教にしろ、東洋的思想に、表現こそ違うけれど、けっこう似たような共通の思考が見られるように思います。
影響を受け継いでいるので当然といえば当然でしょうが。


例えば後世の思想家、「道元」さん。（1200～1253）

道元は13歳で比叡山にのぼり修行の日々を送っていたが、権力者と結び利欲に走る当時の比叡山には失望の思いを抱いていた。又、仏教の根本にかかわる疑問も湧いてきた。
あらゆるものには ことごとく仏性が備わっているという。ならば、なぜわざわざ修行する必要があるのか？
比叡山では答えが得られず、山を下り禅を学ぶ。
その後、中国に渡り修行をし、疑問に答えを見つけて帰国。曹洞宗を布教。
　　　　　　　　（参考文献：「東洋哲学」は図で考えると もっと面白い）



後世の人により、他の思想を取り入れたり、改良、修正されながら、どんどん体系が枝分かれしていく。

答えは１つとは限らない。
変化し、様々と発生していくのも、自然かもしれません。


歴史や人間を考え始めると、面白いですねぇ。
歴史好きな人に、けっこう共感します（笑）
3000年前より昔に遡って 人間の思想のルーツをたどってみるのも
面白そうだなぁ・・・・。
（変わり者ですみません（汗））


3000年という時間だって、宇宙レベルの大きな 漂う流れからしてみたら、
ほんの一瞬。
うたかたの幻のような中で、権力を誇示したり争ったり。
アホくさ～。
地位や名誉、なんの価値があろうことか。
・・・って、たまに老子・荘子の思想の中に漂ってみる。


うん・・・けっこう自分、空想壁あり？（笑）

思考の旅へトリップしてしまうのは楽しいのですが、
これでお金は稼げませんからね。

地に足をつけて、現実を見ないと（笑）

長くなってきたので、このへんで。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　記・2005.11.6　より







</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_38.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_38.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">606思考の旅へトリップ</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 11:32:06 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>宗教学</title>
         <description>まず、世界には大きく分類して「一神教」の宗教と「多神教」の宗教があるんですよ。
一神教・・・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など。
多神教・・・仏教、道教、神道、ヒンドゥー教など。

世界の宗教の人口比率で一番多いのはキリスト教、次はイスラム教。
仏教・・・意外と低い。手持ちの本には６％とある。

軽くでよいので、世界のメインの宗教について知っておくのは、世界を知るためにも重要だと思います。
それぞれの国の国民性・・・かなり宗教に影響されてますから。
もちろん日本人も、けっこう無意識ながらも影響受けていると思われますねん。

例えばですね、一般論ですがね、、

一神教は「唯一の神のみが正しい」→正しいものは１つである。
自分の信仰や信念を相手にわからせ、相手に納得させるのも思いやりの心のうち。（日本人にしてみれば、押し付けに映る？）

多神教は「神や仏は唯一の存在ではない」→正しいものは１つであるとは限らない。（中道的発想）

という、発想になりやすいみたいです。
なるほど、なんとなく納得では？

キリスト教が主流の欧米の感覚と、日本人との感覚にズレが発生することが多々あるのは、宗教などの文化の違いに起因していたりするのですよね。

白黒はっきり！・・・っていうよりは、ＹＥＳ 、ＮＯがあいまい。
正しいのは自分だけでない、と考え、相手の立場にも立とうとする。
だから即答ができない、というより相手に心を配る・・・。
（んー・・・、でも相手の立場に立とうとして考え、心を配るということをしない日本人も多いね。ま、一般論として）


ついでに書くと、
仏教にもいろいろ宗派がありますが、私は禅の思想が好きです。
お釈迦様が原点でも、その後のお弟子さんの思想や文化により 様々な宗派が発生した歴史を考えると面白いですよね。

仏教の思想好きだけど、神様などに対します信仰心はないです（汗）
宗教組織の存在意義にも、否定はしないのですが、疑問というか、自分なりの必要性の答えが出ておらず、なんのために必要かしらと時々、ぼーっと考えています。確かに、文化を守るためには必要ですよ。でも そのためだけに存在というのは本来の役割とは違いますよね・・・。そのうち答えが出るかしら。

昔は もっと日本人も信仰心があつく、心のよりどころとして宗教の存在意義があり、そして宗教組織にも意味があったと思うのですよね。

いまは・・・。
時代が変わったのだから、古くからの宗教も、少しづつ意識を変える必要があるのではないかしらねぇ。

宗教に偏見をもつ日本人が増加する中、
古くからある仏教や神道なんかは、宗教という枠を超えて、日本人の文化として存在を別格として万人に受け入れられているように思う。
観光でお寺に行ったり、自分自身の信仰心とは関係なく先祖伝来の宗派に抵抗感なく葬祭をしてもらう。


禅の思想はですね、

不立文字
教外別伝
直指人心
見性成仏　　（達磨大師）

～悟りの道は文字や言葉では伝えられず
文字に書かれていないものを特別に伝授するのが禅
坐禅によって自分の本性が万物の心理と一体であることを見抜けば
それが仏の悟りに他ならない～

言葉などに頼らず、自分で悟れってことですね。
そもそも悟りの境地などは言葉や文字で表せるものではない。

言葉や文字は、真理を表すための仮のもの、
悟りの境地に導く手段にすぎず。

仏像や経典なども絶対視しない。

禅の思想からしてみたら、仏像だって 別にありがたいものではない。

大事なものはなにか？
難しく形式にこだわるほど、道（真理）から遠ざかるんじゃないかしら。


宗教というより、哲学に近いのですよね。

「無」と「空」の境地。

一は一切であり、一切は一。


ふっふっふ。けっこう禅の思想に浸るの好きですねん。

おもろいです。

　　　　　　　　　　　　　　　　　（2005年10月19日～20日に書いたのを編集）




</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_37.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_37.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">608宗教学</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 11:29:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>東洋哲学☆Ｘ、Ｙ理論</title>
         <description>東洋哲学☆孟子、荀子

社労士受験生なら、マクレガーのＸ、Ｙ理論を ちょっと頭よぎるかもしれない。

孟子（紀元前372？～289）


「性善説」を唱える。

人間は生まれながらに善の心を持っていて、最初から悪人はいない。
それを「四端」で説明。
「四端」とは・・・・

仁・・・人の不幸を哀れに思い、深く痛む心
義・・・自分の不正を恥じる心
礼・・・辞退して人に譲る心
智・・・正しいことはよいものとし、不正は悪いものとする心

生まれたときの「善」は小さな芽・・・それを育てていくのが学問と修行。


--------

荀子（紀元前298～238？）

孟子が「性善説」を説いたのに対し、荀子は「性悪説」を主張。

人間はそもそも「利」を好む。その本性に従っていたら、人間関係がうまくいかない。

もし人間の本性が善ならば、なぜ孔子の説いた教えを尊ぶのか？
本性が悪だからこそ、善であるためには「人為」が必要となり、それが「教育」なのだ。

「性悪」に対するには教育こそが大切と考え、後天的な努力を高く評価し、学ぶことの意義を強調。「出藍の誉れ」の原点となった言葉・・・

＜学は以ってやむべからず。青は之を藍より取りて、藍よりも青く、氷は水之を為して、水よりも寒し＞

学問をし続け、その努力を怠らなければ、いつかは師に優る徳のある人間になれる・・・。


-------

余談

荀子の「礼」「義」を重んじる思想は、韓非子に受け継がれていきます。
韓非子もおもろいです。機会があれば・・・
諸葛孔明は韓非子を崇拝し、その思想を実践した１人だそうです。
けっこう東洋哲学、歴史上の大物人物に影響を与えているようです。
例えば「孫子」、
ナポレオンも「孫子」を座右の書として活用したとか。
武田信玄の旗印「風林火山」・・・これも孫子が出典です♪






</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_36.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_36.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">610東洋哲学☆Ｘ、Ｙ理論</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 11:27:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>東洋哲学☆死など、わからん♪</title>
         <description>東洋哲学☆荘子

人間の本質は何千年も前から、意外と変わっていない。
私も自分でいろいろと悩み、たどりついた答えが、既に古典の中にあったり。
自分で悟ったと思っていた答え、既にでてるのね・・・。
温故知新・・・。
しみじみと 昔から人間、同じようなことを考えてるのね・・・と、感じること多し。

-------

夢の中で歓楽をつくした者が、一夜明けると辛い現実に声をあげて泣き、夢の中で泣き悲しんだ者が、一夜明けるとけろりとして猟を楽しむ。夢を見ているときは、それが夢だとは気付かない。夢の中で夢占いをすることさえあるが、目覚めてはじめて夢だったと気付く。人生にしても長い夢のようなもの、悟った者だけがその夢であることに気付く・・・。
　　　　　　　　　　　　　　　　（荘子：長梧子の夢　より）


荘子【紀元前369～286？】
「史記」によれば、宋の国生まれ。（現在の中国河南省）
老子に次ぐ道教の始教といわれている。



＜吾が生やはて有りて、知やはて無し＞
人の一生には限りがあるけど、知には限りがない。
限りのあるもので限りのないものを追いかけても疲れるだけじゃん。
考えても仕方がない。

＜大知は閑閑たり、小知は間間たり＞
りっぱな知恵は悠々としてるけど、つまらない知恵に惑わされる人はせこせこしている。そのような人はいずれ、老醜をさらすだろう。

夢が現実なのか、現実が夢なのか。
荘子は「どちらでもかまわない」という。
「知」にはなんら確かな判断はないのだから、考えてもしかたのないこと・・・。



「知」に確かな判断はない。「知」から離れたところに自由な世界が。


大小、是非、美醜、善悪、生死・・・など、現実に相対しているように見えるは、人間の「知」が生み出した結果。
「相対」は人間の知恵がつくりだした見せかけにすぎない。
「相対」の概念（知）をとり払えば万物はひとつであることがわかる。


-----------

余談

「死」をどう考えるか？

孔子曰く、
＜いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん＞

生のこともわからないのに、どうして死のことなどわかるはずがあろうか？

死などわからん♪

東洋哲学は「実践」に重きがおかれているらしいです。
禅も「日常性が大事」と、確か していたような・・・。



老子や荘子の思想、共感するところが多く、好きなのですが、油断すると とても枯れた気分になります。（私だけか？（笑））
東洋哲学とはいっても、いろんな考えの方がいます。
代表的な人たちの間でも、共通するところもあれば、反するところもある。

おもろいですよ。





</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_35.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_35.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">612死など、わからん♪</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 11:21:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>あぁ、不毛～</title>
         <description>ここ最近、なんとなくテンションが下がった状態が続いております。

梅雨だから？
（私は天気に気分が左右される傾向あり）
テンションが低いときって、人生についていろいろと考えてしまいません？


あーあー。

昔から、自分、
なんのために存在してるか・・・生きてる意味なんてあるのかなーって、
よくボーっと考えていました。
（基本的に、深く永延と、宇宙人はいるか？とか、幽霊は存在するか？とか、ニワトリが先かタマゴが先か？みたいな、どうでもいいことや、どうにもならないことをいつまでも考えているの、好きな子供だった。なので、当初はサイエンス・・・科学の方へ興味もちまして科学者目指そうと思ったのよね・・・。）


んで、別に意味なんてない、なくてよいのだという結論になる。
ずーっと考えてみたところで、答えは人類の思考の範疇を超えたところにある。
考え続けたところで、不毛であることに気づく。
鳥が空を飛んでいるように、雲が流れ漂っているように、道端に草が生えているよに、虫がヨタヨタ歩いているように・・・・、
私は存在しているのだ。（あまり、人間を特別視した思想、好きでない）
それで いいじゃん？
ただし存在していれる期間は限られている。
あと５０年ぐらい？（笑）

なんのために、生きるか？
どうにもならない不毛なことを考え続けて、その思考に束縛されているより、
自分がどう生きたいか、なりたい自分になるためには、どうすればよいかを
考える方が有意義なことに気づく。
その方が後悔のない人生を送れるんじゃない？

あたりまえのことですが、自分は自分の人生物語の主人公でありまして。
エンディングの時に、まんざらでもなっかったな、と思いたいわけで。

ほとんど私、ゲームとかしないのですが、
ロールプレイングゲームと似てますな。
幕が上がったが最後、リセットはききませんけど。


さてと、わかっちゃいるので、がんばりますよ。

（んー、でも、なんとなく窮屈さを抱えながら生きているので、
まだまだ わかっちゃいない部分も多いのでしょう）


文章を書いたりすると、心理的に落ち着く効果があるらしい。

なんか気持ちを切り替えて、がんばれる気がしてきました。
（この場を発散にして、スミマセン）


ダークモード、回復♪


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　記・2005．7．1





</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_34.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_34.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">614あぁ、不毛～</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 11:19:11 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>時々思うこと</title>
         <description>友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

　石川啄木
　　　　　「一握の砂」 



今日は別に、そんな気分じゃないけどね。


まったり もったり。（意味不明）


感傷にひたっているときは文筆家になるチャンス？

その時々にしかない感性ってあるもんね。


さて、休憩終了。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　記・2005．6．11






</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_33.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_33.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">614時々思うこと</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 11:17:58 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>人生の教訓</title>
         <description>私の好きな言葉に

「知足（足るを知る）」

って言葉がある。

確か老子の言葉だ。



足るを知る

幸も不幸も心一つ

バランスが大事

日常性が大事

同じアホなら踊らにゃそんそん♪


↑私のたどりついた人生観。

うつろいやすきは世の常かな・・・ってことで、私の考えも
またそのうち変わってるかもしれませんが、今時点。


自分が本当に満たしたいと思っているのは
物質面？精神面？

いくら勉強で知識を増やしても、事業が成功して
お金持ちになっても、
足るを知らなければ、不幸な状態かもしれない。

足るを知っていれば、同じ状況でも
心一つで、精神のバランスをたもち、
幸せだと思える生活をおくれるのではないかな。

足るを知るっていうのは、別に現状に満足して成長をやめるって
ことではないっすよ。

ありのままの現状、自分を受け入れることによって、
精神的なバランスをたもちながら成長をつづけることができるんじゃ
ないですかな。


時々、私、前向きな人だねといわれることあります。

いやいや、すっごい基本ベースはダークですよ。

老荘思想、共感しまくり。
油断すると、枯れておりますがな。
スローライフ、スローワークが私の理想（笑）
生業をもって、自分のペースで自分のリズムで生きていくのだ（笑）


自分ではどうにもならない幼少時代、
いろいろと辛い時期がありまして、
あんまり辛い状態が続いたので、
感情なんてなくなっちゃえばよいのに・・・と、
ずっと思っていたら、
なんかどっか感情が欠落して成長してしまった感じがする。

だけどね、

言葉って「言霊」があるのかな、

エネルギーがありまして、

なにげない一言が、深く人を傷つけたりもするけど
元気にもしてくれまして。

前向きな言葉は、自分にプラスのエネルギーを
くれることを知っている。



　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（2005年6月11日に書いたのを再編集）




</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_32.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_32.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">616人生の教訓</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 11:10:59 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>人生の教訓</title>
         <description>たまたま雑誌（確かプレジデントだったような・・・）で見かけた松井秀喜のインタビューで、大変よいことが書いていたので、しばらくその言葉を心のｍｙ格言としていました。
松井秀喜の恩師の言葉と紹介されていたのですが、その後にアメリカの有名な心理学者の言葉と判明。

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
　
　　　　ウィリアム・ジェームス（アメリカの心理学者）

自分を高めて運命をよい方向へ導くためのエッセンスが凝縮されておりますね。根性なしの私ですが、根性論、好きです。
自分の運命を変えたいと思ったら、性根の部分から変えていかないと駄目です。小さな心がけの繰り返し、積み重ね・・・それがいつしか大きな歯車になり運命をも変えていくのであります。
けっして悪い心がけを繰り返しちゃいけないっすよ、これだって積み重なれば雪だるま式に悪い方向へいく歯車になっちゃいます。
自分の未来は自分次第。


さて、昔からのロングセラーになっている本って、やはりロングセラーになるだけの価値をもっている本が多いように感じます。
最近の、成功哲学的思想を書いてベストセラーになっている人だって、けっこう昔からのロングセラーの本を読んでいて影響を受けていたり似たような考え方だったりで、時代に関係ない普遍的なものを感じます。

温故知新。
発売後、しばらくたっても書店から存在が消えない、定番的な本にはハズレが少ないような気がします。

ところで、ビジネスマンの間で、目標設定の大切さなど成功哲学的な思考の存在は、かなり浸透してきているように感じられる今日この頃、
私はぜひ、成功哲学と並んで宗教学（中国古典含む）を学ぶ重要さを主張したい。

いくら文明が発達しても世の中は結局、普遍的に「心」だらけで動いています。成功哲学的な考えも「人間の心や心理の動き」に注目しています。さてさて成功哲学的な考え方が体系化されるずっと昔より、人類に意識するしないぬきに影響を与えてきた思想体系がありました。それが「宗教」です。

どうも、元理系だったので、物事の原因やルーツの、源流、源流をさかのぼって考えてしまうクセがあるのよねぇ・・・。

中国古典書物の禅や孔子（論語）などの思想を読むと、数千年前の思想にもかかわらずにこんなに高度に完成された思想があるのかと故人に尊敬の念を覚えずにはいられません。そしてその思想の普遍的な価値や日本人に無意識的に多くの影響を与えていることに改めて気づかされます。

確かマーフィーさんも孔子に興味あったようだし、カーネギーも晩年、禅とかの書物読んだりしていたのよね？

日本では「宗教」の話をしようと思っても、うさんくささがつきまとい、なんか抵抗感を感じます。宗教の話はなんとなくタブー。偏見がありますよね。実は私も多少もってます。「宗教」という言葉が出るだけで構えます。しかし、占いなんかと一緒で、うさんくさいと思いつつ、興味を密かにもっている人も多いのではないでしょうか。

ビジネスに限らず、生きていくための心構えとして、偏見なく客観的に宗教学を勉強してみるというのは絶対にに価値ある発見があると思いますよ。
そのへんに関しては、マーフィーやナポレオンヒルなどの本は足元にも及びません。なにせ何千年もの歴史の重みや支持されてきた価値が違います。
又、一般教養的に、知ってると知らないでは、世界をみる目が違ってきます。

名言・格言好きのビジネスマン、多いんじゃないかと思います。
ご存知のように、中国古典や宗教からの四字熟語、多いですよね。
偏見などなく本屋でよくまとまった宗教学などの本を買って読まれてみては。
目からウロコの思考、考え方に、出会うことができるんじゃないかしら？

例えば宗教による国民性への影響
「キリスト教（一神教）→唯一神のみが正しい→択一的発想（正しいものは１つである。（欧米人の心の基幹）」
「仏教・神道（多神教）→神や仏は唯一の存在ではない→中道的発想（正しいものは１つであるとは限らない。）（日本人の心の基幹）」

自分の潜在的な思想のルーツをたどるのは面白いですよ。

ちなみに、私自身は特定の思想や信仰はもっていません。
どちらかというと宗教も思想や哲学の１つとしてとらえています。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（※2005年１月に書いたものを再編集しました）</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_31.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_31.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">618人生の教訓2</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 11:08:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心の問題と宗教の関係</title>
         <description>思いつくまま書いてみます。

最近の犯罪の傾向や自殺の増加などのニュースをみて、つくづく「心」の問題について私なりに考えてしまうところがあります。

人間、心によりどころなどがないと、精神のバランスがうまく保てません。

大昔（とはいっても、そんな昔ではない）の日本では、戦や貧困など現在以上に過酷な現実に人々はさらされていたと思います。しかしながら、「信仰」が多少なりとも心のよりどころとなり、逆境の中でも心の救済に寄与していたのではないでしょうか。

昔の武士の時代では、侍が教養として「儒教」を学んでいました。
儒教は孔子の教えを中心にした宗教です。
日本人はどちらかといえば学問や倫理としての面から受け入れたため、あまり宗教であるという認識はないと思います。

生きるか死ぬかにおいても毅然とし、名誉や忠誠のためなら切腹も辞さない。
儒教的思想が心のよりどころとなっていてのことでしょう。

宗教的思想には、人類の生きるための知恵が満載されているように思います。
心を強くもつための、又、道徳的分別を教え世の中が乱れないようにするための先人の知恵を感じます。

爆弾発言をしますが（これを読んで、抗議の脅迫書込みしないでね（汗））、私はサンタクロースを信じていないのと同じぐらい、キリスト教や仏教などの数々の神々の存在を信じていません。特定の信仰もありません。多分、日本人のほとんどが同じように思っているのでは。しかし神を冒涜するようなうしろめたさ？はっきりあんまり否定するのどうかと・・・とか、ちょっと迷いがあってみたり？

「神様」を仕立て上げれば便利です。賢い先人が道徳などを広めようと思ったとき、「神様」の名目でなら教えやすいでしょう。
「鬼」とか「悪魔」も同様ですね。
日本昔話・・・悪いことしてると、鬼がきちゃうぞー・・・って感じに。

とにかく過去の日本の歴史及び世界において、宗教は道徳的教育に大きく貢献してきました。

しかしながら、現在の日本においては政治と宗教の分離・・・これはよいことと私的には思いますが、教育の現場においても宗教は分離されています。

一応、道徳の時間とかあるかもしれませんが、現在の教育現場において、「心」の教育、充分ですかねぇ？

お墓参りにいったり、初詣にいったり、お寺を巡ってみたり・・・無意識ながらも日本人の潜在意識の中には仏教や神道的習慣や思想が根付いています。
しかしながら、宗教に関して非常に無知な人が多い。

若い世代において、自分の実家のお墓が仏教ではあるけど、なんの宗派か知らないっていう人、非常に多いことと思われます。
うちの旦那も禅宗だったと思う・・・ぐらいで詳細知りません。
そうゆう私も、先祖がなんらかの意思で選んだ宗派やねん、１度ぐらいは少し詳細に調べてみるかと調べましたが、詳しいルーツや信仰方針（？）、忘れました。

旦那の実家の宗派、えらい葬式にお金がかかります。
なんかそうゆうの共感できない部分があるので、自分が死ぬ前には自分の思想や人生観に比較的近い宗派を探すか、もしくは無宗派として葬式をあげてもらえるよう、段取りメモを書いておこうと、密かに思ってます。

仏教的思想がベースの国に生まれてよかったわ。
キリスト教など一神教的思想がベースの国でしたら、（実体のある）神様を信じないなんていったら狂信的な方々に迫害うけちゃうわ。

仏教や神道など、たくさんの神様がいるような宗教は、これも正しいかもしれないけど、それも正しいかもねとなりやすい国民性らしいです。相手の立場にも立とうとし、心を配ろうとするから即答できなかったりする。イエス・ノーがあいまい・・・いいじゃありませんか、美しい心だわ。
逆にキリスト教やイスラム教など神は唯一であるっていう宗教文化の影響が強い国では、正解は１つやねん、これが正しいんだ。って発想になりやすいみたいです。一神教にとっての思いやりの心とは、自分の信仰や信念を相手にわからせ、相手に納得させる・・・というところもあるらしいです。だから日本人の心にはそこのところが強引な押し付けにうつり、キリスト教などいまいち流行らない？

現在のイラク問題。メインの当事者がどちらも一神教がベースの国民性。
どっちも自己主張が強そうですね。

たしか先月、新聞でアメリカ国民の多くは「神」を信じている、そしてダーウィンの進化論は神への冒涜で、神が人間をつくったんだと考えている割合が根強く多くいるようなこと読んだ気がします。

アメリカさん、あまり自己中心的な思想はほどほどにして、もっと周りを見てねー。おかしな方向へ突き進んでいかないでねー。と、ちょっと思います。

宗教学を学ぶと、学ばないよりは違った見方で世界が見れます。

狂信的に他のなにも見えなくなり、自分の信じているものだけが正しいという考え方、好きじゃありません。オーソドックスな宗教や宗派について、広く浅く全体的に・・・そしてその中で、特に気に入ったものあれば、ちょっと深く学ぶって感じで。それぞれ一長一短があるだろうから、よいとこだけ取り入れる。

ちなみに人間は神に特別に選ばれたって感じの思想も好きになれません。
万物みな同じ、すべてに仏性（魂みないなの？）があるって感じの自然と一体的な考え方の方、好きですね。
お釈迦様も人間でありました。
どうにもこちらの方が共感する思想、多いでございます。

いろいろ書きましたが、私もまだまだ未熟な身。
よく知らないで書いていることも多いかと思います。
後から自分で読み返して、青臭いこと書いてるなーとか、ばかなこと書いてるなーとか恥ずかしくなることもあるかもしれません。

一部の方に、ひんしゅくかうようなこと書いてましたらごめんなさい。

非常に日常生活においても身近であるにもかかわらず、なんとなく話題にするのがタブーな感じのする宗教。
奥が深くておもしろいです。

さて本日は、これにて。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　記・2005.2.4




</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_30.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_30.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">620心の問題と宗教の関係</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 11:04:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>東洋思想②</title>
         <description>「仁知信直勇剛についての六つの弊害」


仁を好むばかりで勉強しないなら、ただのお人よしになる。

頭のよさに頼って勉強しないなら、でたらめさんになるかもよ？

誠実なだけで勉強しないなら、だまされるよ。

正直なだけで勉強しないなら、融通が利かなくなるなぁ～。

勇気はあっても勉強しないなら、トラブルを招くだろう。。。

根性はあっても勉強しないなら、偏屈な人になるでしょう。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　孔子

-----


「学を絶てば憂いなし」

学問や知識が憂い根源なんだから、それらを全て捨てれば悩み憂うこともなくなる。

世の人々は栄誉を求め、恥辱を避けるけど、そのことにどれほどの差があるの？

善・悪・美・醜などの価値判断は絶対的でなく、相対的。
時代や環境によっても変わる。

そんな相対的な価値判断に振り回されて生きるのはやめて、しがらみを持たず、ただ精神の向上を求めて、淡白な生活をしようではないかい？


「礼智を用いるようでは・・・」

「道」が失われて「徳」があり、
「徳」が失われて「仁」があり、「仁」が失われて「義」があり
「義」が失われて「礼」がある。

世の中が「礼」を必要になって、欺いたりだましたりする行為が発生。

自分を聡明と思い、智を用いてうまくやろうとする、ここに愚の根源が。

道徳修養は 道、徳、仁、義、礼、智に分かれているが、道に合致した社会では、すべてが自然におこなわれる。

世の中が礼智を用いるようでは、もう手遅れ。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　老子
　　　　

</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_29.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_29.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">624東洋思想②</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 10:56:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>東洋思想①</title>
         <description>「色即是空」

現世におけるあらゆる事物はすべて因縁によって生じたものである。ゆえに、無自性（空）であるという。

※性：そのものがもつ不変の性質。自己の中の本性。
外から「自性」へ通じる道はないので、人それぞれの「自性」はみずから発見しなければならない。
自己の「自性（仏）」を発見することにより、誰でも生死涅槃を越えた本来の仏になれる。
それを「悟り（見性）」という。自性もとより仏なり、さらに仏を求むべからず。

「即心即仏」

同じことが発生したとしても、喜ぶか悲しむかは、どんな角度からその物事を見るかにかかっている。これを心に求めさえすれば道を悟り仏になれる。

いかなる事態に遭遇しても心の持ち方次第で対応の仕方も変わり、状況を好転することもできるのである。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　禅



----------

「人の己を知らざるをうれえず。
　　　　人を知らざるをうれう。」


人が自分を認めないからといって思い悩むのではなく、
自分こそ人のことを認めないことを思い悩むべきである。



「位なきをうれえずして、立つゆえんをうれえよ。
　　己の知らるるなきをうれえずして、知らるべきをなさんことを求めよ」


地位のないことを嘆くのではなくて、
自分の実力不足を嘆くべし。
認めてもらえないといって嘆くのではなくて、
自分にそれだけの価値がないことを嘆こう。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　孔子

-----

「バランスが大切」

一生懸命がんばるのは美徳ではあるけど、度を越すと人間らしさが失われてしまう。

さっぱりして無欲なのは立派だけど、枯れすぎては生きている意味がないでしょ？

バランスが大切です。


「人間は粒子の中の粒子」

山も海も大地も宇宙の微細な粒子にすぎない。
そんななかで人間なんて、さらに粒子の中の粒子だ。

人の寿命はせいぜい数十年？やがて泡のごとく消えてしまう。
ましてや地位や権力、お金といったものとなると・・・。

すべては幻。泡くずのようなもの。
人の一生はつかの間なんだから、つまらない競争なんかに時間を費やしてないで、人生を楽しむのに使ったらいいのにね。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　菜根譚
</description>
         <link>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_28.html</link>
         <guid>http://www.keiei-roumu.com/2006/11/post_28.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">622東洋思想①</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Nov 2006 10:51:31 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
</rss>
